独白・「終の棲家」

しばらく~
う~ん生きてたよー!
娘?
それが気がつけば朝から仕事にいってるの。
もう3ヶ月になるわ、、、でも当初は睡眠不足でパソコンに向かってキーに指をのせたままの
目を開けた状態で寝てた時もあったってょ…
「え~っ!」
でしょ、でぇしょ~!
ちょとぉもしもしー、笑いすぎよ。
先月の連休にはまた東京に行ってね、埼玉のアリーナのライブにも行ってきたの
電話口で興奮してたわ「よかったよー」って何回も、、、しかも一人で行けたしね。
そして帰ってから開口一番に「東京には住まない。目的無しに住むとこじゃない、
たまに
遊びに行く位がちょうどいいかなって、今回行ってわっかたよ」
だって、、、
どうしたんだろう。
主治医にも聞かれたそうよ
「どうしたの?変わったね。明るくなって、どうして?教えてよ」
この先生のお陰ではないことは確かね、「月1回の薬を出して貰うだけ」って
言っていたもの。
その薬も今週からハルシオンとデプロメールの2種類のみにしてもらったって。
眠れるようになったのよぉ
1時くらいには寝ついてるかな、、、
今夜はどうかな?だってまだ帰ってないし、私は飲んでないから眠くないしね。

あ~私ねぇ父親が76で逝ったから其の年まで生きられるとしたら20年もあるのね
だから老境に入ったら死にたい場所で生きたいと、この2,3ヶ月考えていたの
でも 自分の立位置がわからなきゃどこに行ってもおんなじね

「自分の立位置くらい自分で見つけろよ、mooさん」ってね。

あらっ!もうこんな時間、取り留めのない話をしてしまったわ
じゃあね、またね、おやすみ~






「独白」ゾク・ゾク・ゾク

「う~ん、そうね!過ぎた事って案外スラスラ話せるかもね!
ほんと 去年は大変だったわ~
レレレが(突然変異?)荒れだして、、、
なんで~!ドア壊すの~アッ!携帯投げつけた
ちょっとー!やめなさい!!!また、やるきね!
ママ許さないからね!ヤメナサイ!
。。。そこからダッシュしてカッター取り上げて 取っ組み合いになって、その時
初めて ほっぺたをひっぱたいてやろうと思ったわ
それで気を入れて右手を当てたつもりが すべってしまって(スベッタから泣いたんじゃない)
気がついた私がビンタ張られてしまって(ますます溢れてきて;)…
後のことはあまり覚えてないの。私がヒックヒックしながら何か言ったこととか
いつ寝たのとか
でもね、レレレのビンタは痛くなかった^^
それに 去年は恋もしたのよ~私じゃないのレレレよ!
高校時代は告白されても ひたすら片思に執着してね、大学の時はプラトニックで三ヶ月間足らず
付き合ったって言ってたわ
だから初めての恋でしょう~
そのときは二人ではしゃいじゃって~
レレレの運命の人かもね、、、なんてね^^
でも違ったみたいね
恋って苦しみも伴うものなんだからさ~
そういって励ましたこともあったけど、やっぱり運命の人ではなかったみたいね
うつ病のこと否定していたもの
会って話したこともあるし、いい人よ 本当に、でもねレレレが抱えている根っこのところが理解できないみたい
それも無理ないと思うけど、、、
私だって最初の二年間はただオロオロしながら様子見るしかなかったんだもの
病院に付き添ったり(先生のお話)、本読んだり、体験談聞いたりしても解らないときはわからないものね
でもある時、気がついたの^^
レレレがうつこになって 私たちの会話が増えたこと。それに色々あったことで
それまで知らなかったレレレに出会えたこと
つまりね~進化しているってことなの~^^
だから今の私はとっても、うつこに感謝してるのよん!^^

アラ?!もうこんな時間?長々とごめんなさいね
じゃあね おやすみ~」


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ここここ



動きを止めろ!

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2007.9 知床

ここのとこ私 寝逃げしてましたね。

一週間前、日曜日です
娘の気持ち(東京で暮らしたい)を知ってから、はじめて言ってあげられました

「〇月に行ったほうがいいんじゃない!ハイ!決定!」

葛藤がありましたけれどね
ま~…父親と暮らしたいのか、記憶のない生まれた土地に目覚めたのか
何れにしても私が反対する理由はないと
腹をくくったつもりでおりました

それなのにどういう訳か
ニョキニョキと顔をだしてくるんです

不安?
寂しさ?

カミングアウト

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2006.5

娘が就職した年だったと思います。

風の匂いに誘われて 公園に行くと
音?音楽と人の賑わい(内心すでにワクワク♪)
訳が解らないままパレードにもぐりこみました
で、写真を撮りながらですが
「群れ」の意味がわかってきた時には
すでに陶酔状態です…
人の顔がいきいきしていたのです。

こういう運動が展開されているとは、この時はじめて知りました。

そして彼や彼女方達が偏見とか差別により、苦しんできたことにも
初めて気づかされました。

裁判員制度?

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’07 広島

裁判員制度で 対象となる事件の代表てきなもの

殺人
強盗致死傷
障害致死
危険運転致死
現住建造物等放火
身代金目的誘拐
保護責任者遺棄致死

アメリカの場合
陪審の目的は、個人が政府から不当に扱われ,身に覚えのない罪で有罪になるのを防ぐことにある。

五十年代、ニューヨーク州では一級殺人には死刑が適用されていたが、現在は死刑が禁じられ
最高刑は終身となっている。

数時間ほど前
足利事件の菅家さんの会見を見た。

「絶対に許せません。自分の人生を返してもらいたい。父と母の墓前で謝ってほしい…」

十七年半もの長い間、無実の罪を着せられ、菅家さんの失ったものの大きさは
計り知れない。

裁判員制度において
「評議を尽くしても,意見の一致が得られなかったときは、評決は、多数決による」とある。

私は、どこまで評議が尽くされるのか(五日間?)

多数決で冤罪を防げるのか!?

不安だ。




記憶の玉手箱

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~由比ヶ浜~


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~横浜・元町~

ある日のこと
定期検診で先生から
「逆子になっているけど 体操で元に戻るから」と言われので
不安は無かった。

(体操で元に戻るんだ~♪)

結局、体操の効果がでないまま、次の検診日を迎えることになった。

先生の話を聞きながら
逆子になった原因を考えた。

(飛び跳ねたのはあの時しかない;)

日本武道館でRainbowのライブがあった
1983年10月のこと。

オールスタンディング状態、

私の興奮も沸点に達し、周りに同化するように
体が上下に跳ねていた。

両サイドにいた夫と従兄弟に「大丈夫か~?」と
窘められた気もしたが、そんな声が耳に届く筈もない。

… … … … …

かくして子は私の腹の中で胡坐をかいてお座りしつづけ、やがて出産の当日を迎えた。

分娩台に移動した時は午前0時を少し回っていた。

7時間経過…

「このままでは死ぬぞ!!!」
(いつになく強い先生の口調!)

私は其の瞬間、全身全霊の力をふり絞ったと思う。

… … … … … …

そして産声♪

赤い顔した 女の子

2670グラム、頭が手まりのようにまん丸で…

この日は、秋晴れのいいお天気だった^^)







記憶の玉手箱

7時をまわっていたと思う

レレレが帰ると「Tack」が吠える
あ~やっぱり(…安堵)

「タダイマ」
りビングのドアを開けて一二歩進んで足で閉めた

人は慣れてくると手で出来ることを
足でするという

あ~やっぱり…ね!

子供の頃、私が学校休みの時に限って
祖父母の家に行かされた。

バスに乗り、時には妹の手を引き トコトコ。

おばあちゃんちの近所に「松本」さんが住んでいて
そのお宅にボールを持って行かされた。

「ごめんください…卵ください」とか、言っていたのか?

お店でもない所で卵を売ってくれることが不思議だった。

ある時 妹が、松本さんのお宅の少し手前の橋の上から
川に落ち、川で洗濯をしていたおばあちゃんが
なにかを叫びながら飛び込んで、浮き上がってきた妹を掬い上げた。

妹が一才くらいで、私も現場にいたことは覚えている。

でも この話はだいぶ後から聞かされたこと。
それでいまだに覚えているのか?

この中におたまじゃくしが泳いでいます♪
~鎌倉にて~

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続きです

レレレが就職した年の4月 東京で遊んできました。(其の時のものです)

でも写真はこれ以上載せられないようです。

ある方のブログでモノクロ写真をみせていただき
思い出してUPしました。

また明日…ですね^^

写真UPできました

娘に頼んで公開できるようになりました。それにしても もう少しやさしく教えてくれてもいいんじゃない~!!!
と、内心思っています。
ま~おたがいさまかな^^
わたしだって毎日ハグできるわけないし、毎日愛している、なんて言えないし
泣きながら「レレレはママの宝もの」って言えたのも
娘のうつ病知ってからだし^^

p.s カルガモの写真は拡大してください、というほどのものではないですけど
(口からダレ~)が良かった、それからツーショットの写真、肖像権!なんてことに
なったら大変です;


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